喫煙車両や喫煙席など無くしてしまえ

 昨日書いた「タバコと喫煙について」*1のつづき。喫煙する側の人間として強く思うけれど、たとえば新幹線などに設置されている喫煙車両や、飲み屋における喫煙席は、一切不要だと思う。

 自分が一番タバコを吸っていた時期ですら、新幹線の喫煙車両に座ることは決してなかった。だって、他人が吐き出した副流煙を吸い込むと、煙たくて不快で気持ち悪くなってしまうから。喫煙者にとっても、他の喫煙者が吐き出す煙は不快なのだ。自分が吸っている時以外に、他者が吐き出したタバコの煙など吸い込みたくはない。その点、新型の東海道新幹線は素晴らしくて、【全席禁煙+一部に喫煙スペース】という構成になっている。これがベスト。他人が吐き出した煙が舞う喫煙所は「魔界」なのだけれども、自分が吸いたいときだけ「魔界」にアクセスする、という自由が保障されていて欲しい。<全面的に吸う環境か/全面的に吸わない環境か>という二分法は勘弁してくれと思う。

 飲み屋だってそうだ。居酒屋が基本的に全席喫煙可能になっているのはオカシイ。喫煙席/禁煙席というカタチで座席が別れているのもオカシイ。正しくは、【全席禁煙+一部に喫煙コーナー】という構成であるべきだ。「お手洗いにいってくるね」と座席を立つように、「吸ってくるね」と座席を離れれば良いだけの話だ。その点、モンスーンカフェなどを運営しているグローバルダイニングが「全席禁煙+喫煙コーナー」という構成を取る決断を下したことには、心の底から拍手を送りたい。*2

 喫煙者にとってすら、他人が吐き出した煙は不快なのだ。まして非喫煙者なら言うまでもないだろう。喫煙は、基本的に他者に不快感を与える行為であり、トイレでおしっこをしているようなものだ。だから、パブリックな空間からは隔離される必要がある*3。このように、分煙については「お手洗いモデル」がベストなのだろうと思う。たとえば大学や会社の構内に入る出入り口に無造作に灰皿が置かれていたりするのだが、これもちゃんちゃらおかしい。建物に出入りするすべての人が、なんで喫煙者が吐き出した煙を吸わなきゃいかんの?と感じる。トイレのように喫煙所を隔離しておけば、他人の「しょんべん」行為に巻き込まれる必要などなくなるのに。中途半端にパブリックな場所に喫煙所をしつらえるのは絶対に止めた方が良い。

 喫煙スペースがきちんと隔離&確保されていないから、非喫煙者までもが煙に巻き込まれてしまうんだよ。たとえば女Aが男Bのことを好きで、二人がレストランに入ったとき、男Bが「俺タバコ吸いたいから喫煙席に座ってもいい?」と訊けば、女Bは「いいよ」というしかないし、そうすると、食事中嫌な煙をずっと我慢をせざるをえなくなる。もし全席禁煙で喫煙スペースが分離確保されていれば、そのような悲劇は生じない。

 非喫煙者が喫煙者に対して感情的に憤るのは、「なんで吸わない俺が吸うヤツのコストを不当に負担しなければいけないんだ?」と感じた時である場合が多い。喫煙者が喫煙行為に伴うコストをきちんと負担するならば、感情的な諍い抜きに分煙体制を構築し、両者が共存できるのだと思う。たとえば、大学に喫煙所を設置する際には相応の費用がかかるのだが、それを非喫煙者が間接的に負担しなければならないのはおかしいというならば、喫煙所に出入りする人たちからお金を徴収すれば良い。定期券のような形で。で、喫煙所以外で吸う人間は厳しく取り締まる。これは必要。

 結論。「吸う人間はダメ」という形の道徳的議論ではなく、「喫煙者が喫煙時に応分の喫煙コストを負担する」という形で経済学的に考えていくべきなんだろーな、と。経済学的な話以外にもあれこれ喫煙者を責めるから、「禁煙ファシズムだ」なんて騒がれたりもするわけで。喫煙問題は、経済学的なコストとインセンティブの話です。冷静にいこーよ、と*4

*1:http://d.hatena.ne.jp/amourix/20080320/1206034884

*2:http://nr.nikkeibp.co.jp/topics/20070911/

*3:シガーバーなどそれ専用に作られた場所を除けば

*4:子供を産む際に親が喫煙して良いのか云々という話は、個別に論じる必要があるだろうけれども