タバコと喫煙について
http://anond.hatelabo.jp/20080320105209
たばこに関して、なんで知らないことがこんなに多いんだ?
実質知識ゼロじゃねえか。
読書量の少なさが悪いのか?
いや違う。
今の職場は吸う人間が多い。
たばこのおかげかどうかは分からないが、
「始業の少し前に喫煙所に向かってたばこを吸う」関係の人間が数人出来た。
ちょっとした疑問や悩みや軽い趣味の話がしやすい。
楽しい。
タバコを吸うメリットについての話。吸わない(吸ったことがない)人にはわからないだろうけれど、喫煙所ではコミュニケーションを行いやすい、友達が増えやすいってのは、本当にその通り。普段あまり喋らなかった人たちと本音で会話を交わしやすいというメリットは間違いなくあるよね。
1.通常時には各所にバラバラに所属しているさまざまな人々が、喫煙時には「喫煙所」というひとつのアジールに集まってくるので、垣根を超えた交流を行いやすい(意外な知人をつくることができる)。いわば交流サロンになっている。
2.喫煙者=ダメなヤツというレッテルが社会に蔓延しているので、「うちらは仲間だよなw」という(リリーフランキー的な)自嘲気味の仲間意識に支えられて、円滑な「本音の」コミュニケーションが進行する。
「飲みニュケーション」ならぬ「ヤニニュケーション」って、結構素晴らしいものだった。タバコを吸わなければまず出会わなかった貴重な友人がたくさんいる。疑いなく、それは言える。でも、喫煙スペースすら廃止されてしまう傾向にある昨今、喫煙のサロン的機能は、大幅に毀損されてしまったといえるのかもしれない。
もちろん、タバコや喫煙は、決して褒められたことじゃないし、無条件に肯定などできない。しかし、また同時に、無条件に否定されるべきものでもない。タバコだって一つの「文化」だというのはその通りで、「喫煙者=バカ」というレッテルを貼って上から目線で嘲笑している人間を見ると、哀れなヤツだなぁと感じたりもする。
まぁ、自分も吸う本数は圧倒的に減ったし、とっておきの時にしか吸わなくなったけれど、「非喫煙は正義だ!」「喫煙者はバカだ!」と頭ごなしに信じて喫煙者なりの合理性を微塵も考えようとしない人に、軽蔑の念を抱くのは事実だ。長く生きるということが、人生において最重要な価値というわけでもないのだし。脂肪こってりな牛肉に舌鼓を打ち命を削る人たちがいるように、ニコチンに肺鼓を打ち寿命をすり減らす人たちがいたっていい。
問題は、牛肉の場合とは異なり、喫煙者の出す煙が非喫煙者に対して侵襲的な存在になりうるということだ。どうすれば、双方が納得できるような分煙体制を構築できるのだろう?たとえば、喫煙行為に伴う(潜在的な)政府の医療費負担の増加が問題になるならば、それに見合うだけ、タバコにかける税金をうんと増やせばよい。道徳的な感情を切り離して、喫煙者と非喫煙者が棲み分けできるルールをひとつひとつ地道に固めていければ良いのにな、と思う。街中で堂々と歩きタバコをするようなバカを批判するケースを除けば、喫煙問題の議論に、罵倒や嘲笑は無用なのだ。