DeScioli, P., & Kurzban, R. (2009). Mysteries of morality. Cognition, 112(2), 281-299. doi: S0010-0277(09)00114-0 [pii] 10.1016/j.cognition.2009.05.008

いくつかメモ。
Sum:道徳性(morality)は良心(conscience)だけから説明しようとしたら難しいねん。良心それ自体によって道徳的な行動を説明できるわけやないねん。己の行動をチェックする第三者の存在があるからこそ自己の行動を自身でモニタリングする良心なんてものに適応的意義が生まれてくんねん。また、moralityと利他性は異なるものやねん。

■1.Introduction
・適応主義(適応論的な考え方)を採用すれば、機能から構造を、構造から機能を推測できるようになる。したがって本論文では適応主義を採用する。
・morality(道徳性)は、他者からの激しい非難/有罪宣告(condemnation)を避けるために存在しているのであり、良心(conscience)は第三者(他者)からの有罪宣告に対する防御システムとして機能している。すなわち、非難/有罪宣告メカニズム(condemnation mechanisms)が良心に因果的に先行していることを明らかにする。
・道徳的な非難システム(moral condemnation systems)の機能についての研究と議論はこれまでほとんどなされていない。本論文ではそれを取り扱う。

■2.The moral dimention
・道徳的な善悪が議論されるとき、「善←→悪」という軸(次元)自体は自明視されている。近親相姦が「悪」、利他的行為が「善」だとされるのはなぜかについての研究と、なぜ人間は「善←→悪」という軸(次元)を持っているのかについての研究は異なる。本論文では軸(次元)そのものを研究対象とする。
・「善←→悪」という次元は、「許可/禁止」(permissible/forbidden)、「合法/不法」(lawful/unlawful)という次元と同一ではない(Macnamara, 1991)。主要な証拠は発達心理学の知見に基づく。3歳くらいの子供は、道徳的な規則を、権威・慣習・明示的な規則とは別物だと見なす。たとえば子供たちは、権威者によって他者に危害を与えるよう命じられたとしてもしばしば従わない。髪型のような個人的な事柄に対して規則を押しつけられた場合には突っぱねる。さらに、子供たちは、不公平な法律を侵犯した人間を非難しない。
・つまり、「善←→悪」という軸(次元)自体が、たとえば近親相姦が悪とされるのはなぜかといったcontent domain(対象レベル)の説明とは別に、説明される必要がある。
・軸はどうやって進化してきたのか。軸自体にかかった淘汰圧は何か。

■3.The problem of morality
・道徳的な相互作用は、意志決定し相互に影響を与え合う複数の個人を含む。ゲーム理論のタームでこの状況を記述することができる。犯人(perpetrator)、犠牲者(victim)、第三者としての有罪宣告者(third-party condemner)が織りなす戦略的状況について考察する。

・ある個人は、道徳的な戦略的状況において、犯人、犠牲者、第三者としての有罪宣告者のいずれにもなり得るし、事例ごとに立ち位置を変化させている。
・本研究では道徳的非難に焦点を当て道徳的賞賛(praise)は扱わない。というのは、大人においても子供においても非難の方が賞賛よりもずっと数多く人々の話題に上ることが実証的に明らかになっているし(Wiessner, 2005)、法システムは宣告する存在だから。
・第三者としての有罪宣告者が直面する問題は、犯人の違反行為を検知し判断し罰を与えること、そしてさらなる他者のサポートを集め逆襲を防ぐこと。罰するコストを最小にするため他者の助けを集める必要がある。
・犯人が直面する問題は、第三者に違反が検知され罰されないよう違反を隠すこと、そして被害者に復讐されないようにすること。
・被害者が直面する問題は、犯人からの被害をできるだけ小さくすること、そして第三者の援助を可能な限り集めること。
被害者が助けを求めたとき、助けを与えるか否かを決めるのは第三者。被害者の道徳的判断はあくまで派生物なのであり、実効力のある(犯人を打ちのめすことができる)道徳的判断を下すのは第三者

・恥、当惑、罪悪感といった自己意識的な感情は(三項関係の戦略ゲームにおける)犯人というポジションにて進化したのだろう。軽蔑、怒り、嫌悪という他者批判的な感情は、第三者というポジションにて進化したのだろう。
・シグナルを受容するシステム(たとえば言語を理解するシステム)が進化しなければ、シグナルを発するシステム(たとえば言語を産出するシステム)は進化しない。アナロジカルにいえば、非難(condemnation)システムはは言語産出システムに、良心(conscience)システムは言語理解システムに相当するのだろう。

■4.Is morality conscience-centered?
・歴史的に進化理論研究者は、道徳認知に対して、良心中心主義("conscience-centered")の説明を行ってきた。どのような良心によって彼/彼女は近親相姦を避けるのだろう?といった具合に。すなわち、犯人のポジションにいる存在が持つmoralityという良心によって道徳的行動が生じるのであり、第三者による非難はあくまで副産物にすぎないと考えてきた。
・主に良心中心主義的な説明がなされてきたからこそ、moralityと利他主義を結びつける議論が数多く存在してきた。現代の理論家の数多くはmoralityとは利他性を生み出す装置だと考えている。
・しかし、利他性の理論をmoralityを説明するために用いる理論は古くさい。本論文では新しい見方を提示する。
人間の良心は、第三者による非難から切り離して説明することはできないのである。

・良心(conscience)とは、「善←→悪」という道徳的概念(軸)を用いる認知システムに与えられた名称である。
・道徳的な意志決定は、結果だけではなく、意図や行動そのものに着目するという特殊性を持っている。この特殊性は他の意志決定領域ではみられない。moralityの外側で、結果ではなく行為それ自体に執着する人は、強迫性障害だとみなされてしまう。

・進化の淘汰圧は結果に対してかかる。それでは、意図や行動そのものに着目するという道徳的意志決定の特殊性はどうやって進化しえたのか。
・利他性によってmoralityを説明する理論は疑わしい。なぜなら、morality(良心)は先述したように、非結果主義的な特質をも持ち合わせるものだから。
・人間以外の動物では、利他性は結果主義的に(包括適応度の上昇という結果に従う形で)進化してきた。

・道徳的判断が道徳的な行動を実際に動機づけていることを実証した研究は驚くほど少ない。他方、道徳的判断が道徳的であるように見せかけようとする行為を動機付づけていることはしばしば実証されている(Batson, 2008)。
・非結果主義的なmorality(conscience)が進化した謎を解く鍵は、犯人、被害者、第三者としての有罪宣告者という3者が織りなす戦略的関係にある。

■5.Condemnation-centered morality
・良心は非難(condemnation)を説明しない。しかし、非難は良心を説明する。
・他者のある特定の行動を非難する人々の間では、その行動を避けるよう個人を導く防御システム=良心が進化するだろう。このシナリオでは、良心は、善悪の概念を適用することにより第三者としての有罪宣告者からの非難をかわすよう自己の行動を規制するためにデザインされていることになる。

・この「防御システムとしての良心」という考え方は、個人の道徳的価値観や基準と、その個人の実際の行動との間にある乖離をうまく説明する。
・逆に言えば、第三者としての有罪宣告者が存在しない状況では、良心は非道徳的な行動を阻害しないだろう。
・道徳的偽善(moral hypocrisy)は実験室実験でたびたび確認されてきた。

■6.Moral judgement
・なぜ人々は(自分が影響を受けないときでさえ)無関係な他者の道徳的行動をモニタリングするのだろうか?
・ヒーローものの映画が示すのは、逸脱者がきちんと罰される筋書きを人々は欲望していると言うこと。
・人々は他者の不正な行い(wrongdoing)(決してpraiseに関する情報ではない)に関する情報を求め、集め、評価し、他者とその情報をコミュニケートしようとする。なぜ?

■7.Moralistic Punishment
・当事者による仕返し(目には目を、歯には歯を;second-party punishment)と、第三者によるpunishmentを区別する必要がある。
・自然界ではsecond-party punishmentが広く見られる。人間以外の動物では、第三者によるpunishmentはほとんど見られない(動物は普通やられたら仕返しをする)
・第三者による罰行動にはコストがかかる。そのコストを埋め合わせるだけの進化的意義は何?

・人々は第三者として逸脱者を罰するためにコストを払う傾向があることが研究によって示されている(Research in social psychology on bystander intervention(Latan〓 & Nida, 1981) shows that people are often willing to incur costs to stop others’ violations. Studies have found high rates of third-party intervention for wrongdoing, including assault (65%, Shotland & Straw,1976; 44%, Fischer, Greitemeyer, Pollozek, & Frey, 2006),rape (65%, Harari, Harari, & White, 1985), theft (57%, Howard & Crano, 1974; 28%, Gelfand, Hartmann, Walder, & Page, 1973), and graffiti and littering (49% and 63%, respectively, Chekroun & Brauer, 2002).)
囚人のジレンマゲームにおいて、自分が決めた配分額を第三者に伝えると教示された実験参加者は、第三者に伝えると教示されなかった実験参加者にくらべて、3倍もの金額を支払った。興味深いことに、実験参加者は誰一人として、audienceの存在の効果を意識的に自覚してなかった。

・1.逸脱者が罰される状況を願うこと、2.逸脱者を罰したいと願うこと、の区別は見過ごされがちだが重要。
・かかるコストが異なるため(1<2)、両者の根底に存在するメカニズムは異なっている可能性がある。
・歴史的には、権力者が見せしめとして逸脱者を罰することによって、1が満たされてきた(というのが通例だった)。

■8.Moral impartiality
・道徳的な公正さ(impartiality)を願うという現象は特殊だ。なぜなら、道徳的公正は、血縁者や友人や内集団(という自分にとって大切な他者に便宜を図ること)を時に無視せよと迫るから。loyalityと衝突する。
・二者関係でみれば、道徳的な公正志向の対極にあるのはselfishness。しかし、三者関係でみれば、道徳的な公正志向の対極にあるのはfavoritism(親族、友人、所属集団に忠誠を誓うこと)
・(二者関係でみれば、道徳的な公正志向は利他性とおおまかに一致するが、三者関係でみれば、道徳的な公正志向と利他性は時に背反する)
・動物(自然界)では道徳的な公正志向がほとんどみられない。(争いが起きれば血縁者や地位の高い者の味方をする)
・大切な関係を損ねてしまうリスクを背負ってまで、なぜ人々は家族・友人・所属集団よりも時に道徳公正さを大事にするのか?
・(第三者のcondemnationを導入すれば道徳的な公正志向に説明がつく?)
・道徳的公正さという理想は通文化的に幅広く存在する。
利他主義と道徳的公正志向はしばしば衝突する。moralityと利他主義は別物だし分けて考えよう。