東洋のセックスの歴史。面白かったけど、ほんまかいな。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1183328

性行為を通じて、悟りの境地に達する。楽しいだけのものではなく、悟りの境地に達するための手段としての性行為。性と宗教の調和。中国人はダイエットやトレーニングと同じように性行為をとらえ、生活の中に取り入れた(バランスを取るのが難しい体位が多い理由)。性行為を雲と雨で表現する=天と地の調和。

道教のセックス】

 道教儒教の中心概念→陰陽。男性の場合には陰陽が精液という形で現れ、女性の場合は性行為における活力あふれるエネルギーがそうだとされた(絶頂に達する直前にあらわれる)。男性の寿命を延ばすことが第一目的。女性については無視。精液を出さずに女性を快楽(絶頂)に導けば導くほど、寿命が延びていくとされた。男性はみな性愛書(現在でいうセックスマニュアル)に頼った。30手。出産は不純。出産に穢されていない10代の女性が最高だとされた。長生きが第一で、女性の快楽は基本的に無視。

儒教のセックス】

 家族の存続をとくに重要視。セックスにとって、子供を産むことが第一に。母である成熟した女性が重要視された。性愛書も変わり、子供を増やす方法にフォーカス。女性の快楽についての重要性を強調(女性が性行為にいそしむようになるように)。王様には性交渉担当秘書がいた。男性は娼婦の元へも向かった。男の義務としてを果たさなければならないセックス←→純粋に快楽を与えてもらえるリラックスとしてのセックス)。

【日本のセックス】

 家族を重視。だが、家族の勤めを果たした後なら、婚外性行が認められていた(日本に影響を与えた儒教も仏教も婚外性行を容認)。偏愛時代にも娼婦が好意的にとらえられていた(仏教の慈悲の女神)。13世紀に売春が公的に制度化された。公になったのは16世紀の徳川時代。同じ頃、芸者が誕生。芸者はただの娼婦じゃなく、総合的エンターテイナー。歌舞伎座は男娼の隠れ場所だった(ここにいる男娼とセックスすることは、同性愛だとは見られなかった。客の多くは既婚者だった。この意味での同性愛は広く受け入れられていた。徳川時代から近代初期まで)。娼婦、芸者、歌舞伎→浮世絵、春画

【インドのセックス】

 セックスは罪ではなく、宗教と性の強固な結びつき。肉体の悦びを通じての神との融合が重視された。男女の交わりから万物が生じ、悟りへと至る。天地のセックス。セックス→宇宙創造をふたたび体験できるとされた。ここからセックスの探求心が生まれた。クリシュナ神=プレイボーイ。カルマ(業)を避けるため、禁欲生活を送る立場もあった。3世紀に出版された「カーマスートラ」は性の教典だが、これは性的経験のない禁欲者によって書かれた可能性が高く、エリート階級向けのものだった。「カーマスートラ」の知識は、詩を書くにも、詩を読むにも必要だった。結婚となると、女性の容姿よりも家柄が重視された。(その反動として、性愛の領域では容姿が最重視された)。通常、新婦は12歳未満だった。初夜に性交渉をもたず、しばらく待つことはよくあった(我慢が性を高めるという思想)。儀式的な性行為。

【中世初期の中東】

ハーレム、ロマンス。8世紀後期のバクダッドは交易地として栄えていた。ムハンマドコーランにも、男女間の性行為についての教えがあった。イスラム教の教義の中心は家族。コーランは最高4人の妻を持つことを許可。ムハンマドは9人。各妻や、各妻とのセックスを平等に扱うことが原則とされていた。結婚内での性的快楽は全面的に肯定されていた。性の快楽は男女両方が平等に享受すべきものだとされた。男女ともに性的満足を満たす権利が保障されていたし、これは立派な離婚の理由にもなった。愛人関係も認められていたが、妻よりも地位が下だったが、同じ離れに隔離されていた。全体でハーレムと呼ばれた。うちに秘めた性欲は破壊的なものなので、女性を男性から隠しておく必要があるという思想。ハーレムにいる女性は家事を行う責任があり、宦官(去勢された男性)が彼女たちを見張り、守っていた。スペインでのイスラム教徒とキリスト教徒との戦いの時(十字軍)にこのような性思想が(西欧社会に)広まったという説がある。