東浩紀2ちゃんねる降臨に脊椎レスをつけていく

http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20080123/p1
 というか、あずまん個人の生き様や日本の批評論壇にそれほど興味がなければ、拾うところは限られてくるわけで、適当にダイジェスト&脊椎レス。

>アベ公房の小説は好きですか?
好きだけど批評的に読んでない。

同意。安部公房を批評的に読むと安部公房の最大の魅力が抜け落ちてしまうと感じる。一番好きなのは『他人の顔』。

>このように想定される「危機」「危険」に対して、社会制度はどのようにあるべきだと考えられてますか?
個々人がリアリストであることでしか対処できない。つまり公的には対処できない。

ふむ。

タルコフスキーは何が一番好きですか?
サクリファイス。ストーカーとか鏡とかノスタルジアじゃないんだ。

そうそう!これは嬉しい。タルコフスキーは絶対に『サクリファイス』に尽きるんだ。あれは指折りの鳥肌映画。いつ観ても震えが止まらない。

>愛って何ですか?
人生が一回しかないことへの覚悟と諦めと肯定。

これはあずまんにとっての「愛」。「愛」の定義をめぐって各人が人生の中で格闘を続けることそれ自体が「愛」だと自分は思う。

ソーカル事変以降、フランス現代思想を読むのって難しいというか
>でたらめな擬似科学的記述をうまく無視しながら読むしかないんでしょうか?
理工系の科学者の薄っぺらな人生論も、経済系の人間観の底の浅さも、人文系の人間からするとかなりキツいよ。たがいにそういう限界を尊重するしかないんじゃないの。

そうそう。科学の因果的記述と人文系の解釈学的記述の違い(それぞれの限界)を各人が慎重に見極めていくしかない。メルロ=ポンティ読めば一発で腑に落ちることなのに、「軽薄な理系の人間論」はあとをたたない。

>理工系は理論的であること、体系的であること、反証可能性があることなど
>きちんとしたプロセスを踏んでいます。人生論の話をいつしましたか?
>人文系の良くない点は知ってないくせに嘘ついてあたかも理工系よりも自分
>たちのほうが崇高だと見せしめようとする点です。
>そういう嘘でさえも豊かな人間性だとして肯定されるのですか?
>それはもはや学問と呼べないのではないですか?


きみのそういう言い方がキツいのでは。
学問は近代だけのものじゃないよ。知って反証可能性だけじゃないよ。
「学」という言葉が体系や理論や反証可能性を意味するようになったのが、
いつのことからか、調べてみてもいいと思うよ。
たとえばいまから300年ほどまえには、工学部は存在しない。
理学部は神学部に近かった。
反証可能性などの概念が出てきたのは、
20世紀初頭に数学・物理学で基礎付けの危機が出てきたから。
そういう話をしている。
ポパーとかファイアーアーベントとかクーンとか、読んでみたらいいと思う。
ちなみにぼくはもともと科学史・科学哲学出身でね。

そうそう。

>科学における反証可能性のように批評や評論の根本の支えている
>ものや考え方ってありますか?
ない。
ない、と言われて失望すると思う。ぼくも15年前にそうだった(信じろ)。
しかし、その「ない」ことこそがなにか重要なのだと、
そのうちわかってくる――かもしれない。
そうすれば批評が読めるようになる。

そうなんだよなぁ。「ない」んだ。問いと答えの連鎖が思想史だから、思想を絶対的に判断する客観的基準はありえない。思想は静的な「答え」を出すものじゃなくて、動的に運動し続ける怪物。止まらないし、食い散らかしていく。そして、「ない」という空白地帯が、怪物に食料を与え続ける。

2ch等で見られる「嫌・文系」みたいな現象についてどう思います?
ソーカルを引き合いに出すものから、「文系学生はセックスしてばかりだから気にくわん」とか
>色々な論調がありますけど、嫌韓厨と同じぐらいに無視できない規模の現象と思うのですか
そりゃ、ネットに強いのは理系で、彼らは文系が嫌いに決まってる。
でも紙に強いのは文系で、彼らは理系が嫌いで、いままでさんざん象徴資本を占有してきたんだから、少しぐらい譲り渡してもいいんじゃないの?

ふふ。

>ブログで紹介されてた濱野さんの「操作ログ的リアリズム」について
>もう少し評価を聞きたいです。
あれ、本当にブログではうまく書けなかったの。
ゲーム的と操作ログ的だと、ゲーム的のほうがまだ自意識を遺しているというか
文学的というか。
操作ログ的のほうは本当に物質的にデータがあるだけ(矛盾した言い方だけそ)
という感じで、なるほど濱野くんという感じがして感心したんだな。
ぼくは本当に自意識って大したもんじゃないと思う。
自意識を介在させない文学性や思考の強度はあって、
ゲーム的より操作ログ的のほうがそれに近づいている。
ただ、濱野くんはそっちには関心ないだろう。

濱野さんは個人的にまだとっかかる場所が見いだせない。体感覚に引っ掛からない。

>あずまんの後悔発言
>・結婚は人生一回の諦め(←嫁さん激怒)

おいおい、そういう意味じゃない。
人生は一回しか生きられない、
だからこのとき、この瞬間にはひとりしか選べない、
そのことの重さを引き受けるのが大事ということ。
それに、それは結婚とか子供とかの話じゃなくて、
人生すべてそう。
ちょっとマジレスしときます。

あれ、いつの間にキルケゴール実存主義に?でもいいオチでした。