論理ではなく情緒や物語に訴えかける戦略が有効な理由

踏み上げさんのとてもとても根底的な分析。

http://www.doblog.com/weblog/myblog/31550/2620535#2620535

 日本からアメリカを眺めていると最近のアメリカで起こっている事は「アメリカの覇権の凋落だ」という風に映るかもしれません。この場合、気をつけないといけないのは日本人が意見交換するアメリカ人は今の米国の政治や実業界で実権を握っているシニアな人達が多いという点です。この人達はいま若い層からの「突き上げ」に遭っています。だから凋落しているのはアメリカそのものではなくて、今まで「持てる者」として君臨してきた「金持ち父さん」層なのです。

http://www.doblog.com/weblog/myblog/31550/2620537#2620537

 オバマ候補に批判的な人は「彼は聞き手を高揚させるようなメッセージだけを繰り返し、具体的な実績や経歴や政策の話には全然入って行かない」ことを指摘しています。その意味でオバマ候補の演説は主に聞き手の情緒に訴えるものであると言えるでしょう。

 それでは何故オバマ候補のそういう掴みどころの無い、ムード重視の演説がこれほどまでにウケるのか?、、、これは実は結構、根の深い問題だと僕は思うのです。

 先ず第一に我々の生きる現代という社会はとても複雑だし、いろいろな利害が交錯しています。すると或るひとつの「正解」というものを提示しようと一生懸命努力してもどうしても一部の人間の気に入らない、或いは彼らを疎外してしまうような政策なり意見にならざるを得ないという事です。情報ひとつを例にとっても今はインターネットがあるので情報の収集のコストはガクンと下がっています。その分、相反するさまざまな情報がワンサと集まってしまって、それを咀嚼するちからの方が情報を丹念に集めるちからより重要になってくるわけです。すると全体を俯瞰して、大掴みに形勢を判断できる人間の方がコツコツ情報を集めて加工する人間より重宝されるようになるわけです。

 別の言い方をすればそれは「知的労働者(ナリッジ・ワーカー)の時代」が曲がり角に差し掛かっていることを意味すると思うのです。

 これは本当に根底的な話だと思う。是非の判断は措いておいて。

http://www.doblog.com/weblog/myblog/31550/2620538#2620538

 こうしたコモディタイゼーションの流れに抗する、ひとつのやり方が、『金持ち父さん』のロバート・キヨサキの提唱した、「オーナーになる」という生き方です。つまり社員になるのではなく株主になれ、テナントになるのではなく、大家さんになれ、、、そういうビジネスのオーナーシップを通じて蓄財を実現してゆく生き方ですね。

 しかしこの方法には根本的に間違っている点があります。それは「そうすれば皆がリッチになれる」というのは幻想に過ぎず、実際には「デマンド・カーヴの前半部分で乗った人=前期ベービー・ブーマー」は後から来る人が相場を押し上げてくれるのでそうやって蓄財出来るけど、後から来て高値を買わされる後期ベービー・ブーマーならびにベービー・バスト世代はこの方法ではリッチになれないという問題です。

 最近、アメリカで起こっているサブプライム問題も、見方によってはこの「誰もがリッチに」という幻想を極限まで延長戦に持ち込もうとした咎めが出て、おかしなことになってしまったとも言えるわけです。

 ナリッジ・ワーカーがどんどん「ただの労働者」に成り下がってゆく過程で、それではどんな人間が上に行けるのでしょうか?。

 ダニエル・ピンクはこれからの時代はそういう雑多な情報をテキパキ加工、咀嚼した上で皆にわかりやすい形で再提示できるような人間がこれからは大事になるという意味のことを主張しています。そしてデザインとかストーリーとか同情するこころとか、そういう物が今後どんどん大切になってゆくと言っています。

 俺の時代が来たか?ww

 そう考えてみれば、例えばアップルのスティーブ・ジョブスなんかはデザインやエモーショナルな商品を作ることにこだわっているし、前の日本の小泉首相なんかもわかりやすいひとこと(quip)で国民を納得させちゃうワザでは抜群でした。その意味では彼も「新人類」だったのかも知れない、、、。

そしてEmotional Value値という概念の導入。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/31550/2620542#2620542

 表現者の時代はもう既に我々の身の回りで怒涛のように展開しています。表現者の時代における成功者を測る尺度はEmotional Value(情緒価値)だと思います。

そう言ってもピンと来ない人が多いでしょうから、実例で示します。例えば僕の考える、Emotional Value値の高い商品は次のようなものです:

iPod
Wii
Mini(BMW)
Four Seasons Hotels
Virgin Atlantic

 エモーショナルな商品というのは、情緒に流されてしまうので「エモーショナル=中身が無い」という考え方は間違っていると僕は思います。

 ちゃんとしたクルマ、ちゃんとしたパソコンが作れるのは当たり前。これは当然、クリアしなければいけないハードルです。でもちゃんとしたパソコンだから売れるか?と言えば、世の中、そんなに甘くは無い。政治家も一緒です。ちゃんとした統治力があるだけではこれからの政治家は駄目だと僕は思う。

また、ユーザーが創るコンテンツも当然のこととしてEmotional Value値は高いです:

Facebook
Wikipedia
Blogs
Flickr
Youtube
ケータイ小説

などはいずれもEV値の高いサービスです。

とても大事な指摘。