書き手の心情を勝手に推測することによってdisるのはやめないか
たとえば、昨日書いたmixi云々の物語。
http://plaisir.genxx.com/?p=196
これのブクマについたコメント。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://plaisir.genxx.com/?p=196
・「道徳の限界を暴いちゃうゾ」気取り
・内実伴わぬリベラル気取りを感じる、自己満足的な陶酔だけを感じる、ワイドショー的面白主義をひた隠しにしている
なんつーか、こんなん反論のしようがないだろ。書き手(自分)は「そうじゃない」というか「そもそも自分が道徳的だなんて思ってないし、リベラルだとも思ってない」んだが、でもそんなところを言ったところで、disり主には届かない。「俺はそう感じたんだボケ」と言われてしまって「はい終了〜」だから。
あるいは疑似科学関連の記事を書いたときに、
「わかったつもりになりたいのだろうが」
「ちょっと変わった事を言って自分は頭がいいことをアピールしたいのだろうが」
みたいなdisりを受けたんだが、これも反論のしようがないだろ。
つまり、書き手がどう感じているかは書き手しか知らない。それに対し、読み手が「おまえは本当はこういう風に感じているんだろ」「おまえの深層心理はこうだ」みたいに批判したとしても、原理的に折り合う地点は見つからない。
【書き手しか知らないし検証不可能なこと=書き手の心情】を推測してdisるのはやめないか?と強く思う。そういうメソッドを使うと、お互いにdisりあう=喧嘩し合うしかないだろう。だって、そもそも検証することのできない根拠を用いて相手をdisってるわけだから。
「○○な部分はこういう点において不快」ときちっと批判されるなら全く問題はないわけだが、自分の心情を勝手に推測されると、どーしよーもないわな。
もちろん、その意味で、疑似科学関連の記事を書いたときに、【「そこには知的で優秀な俺様が無知なおまえを啓蒙してやるぜ」という心情が見え透いている】という記述を行ってしまったことには、大反省。
心情推察メソッドは、最低。自戒の意味も込めて。