非常に共感します

自分が常々「持続可能なエゴ」「マジになるなよ」と言っているのは、まさにこの感覚です。新古典派経済学的な思考って、本当にフェアだと思う。理念や正義や倫理の虚しさ、というか。

http://macska.org/article/215

 腹黒いだけの連中なら、利害によってはどちらにでも転ぶわけだから、まだ行動を予想・コントロールしやすい。問題なのは、活動家業界では「正しい動機」「正しい目的」が現実的なコスト計算やトレードオフの分析を押し退けて、ある行為の正当性の根拠とされてしまいがちなことだ。「左寄り」の読者にも分かりやすいように「右翼活動家」の似たような例を挙げると、石油利権による利益だけを狙う腹黒いブッシュ大統領と、中東の人々を圧政から解放して民主主義を導入することを本気で狙う理想主義者のブッシュ大統領のどちらが世界にとってより危険か、考えてみれば分かるだろう。

 わたしが経済学(というか、米国において主流であるいわゆる新古典派経済学)に魅力を感じるのは、それが活動家業界における「正しい動機」「正しい目的」の横行を解毒するのに有効だからだ。なにしろ経済学によれば、市場がうまく働いていない特有の事情がない限り、社会問題を解決するために政府が何らかの政策を実施することは、基本的に経済の生産性を犠牲にすることになる。そこにどんな「正しい動機」「正しい目的」があろうと関係ない。生産性向上というと「労働者を低賃金で酷使する」みたいな冷酷な響きがあるけれども、生産性を高めることによって経済が成長し、人々の暮らしを豊かにできる(可能性ができる)のだから、一概に否定できない。それを承知のうえで、それでも看過できない不公正をただすために政府が介入するのであれば、それがどういうトレードオフをもたらすのか冷静に分析・論議したうえで、民主的な決定に委ねるべきだと思う。(民主的な決定というところだけを読んで「当たり前だ」と思うかもしれないが、わたしが言う民主的な決定とは冷静な討議を尽くしたうえでの評決であり、数の論理で持論を押しつけるのとは違う。)