実名の欲望、匿名の欲望

 自分がネットでサイトを立ち上げて、おそらくもう8年近く経つのだろうか。高校生のときにジオシティというサービスを利用してホームページを立ち上げたのがきっかけだった。感傷的な文章を書き散らかしていて、まぐまぐの暖簾を借りてメルマガを発行したこともあった。購読者数が一時期100人を超え、わけわからん小僧のイカ臭いメルマガを読んでくれる人もいるんだなぁ、としみじみ感動した。大学1年のとき、それはブログ文化の黎明期で、更新の手軽さに興奮し、われ先にと飛びついた。はじめは他社のサービスを間借りしていたけれど、独自ドメインを900円程度で取れることを知り、レンタルサーバーに自分オリジナルのブログを構築することになった。そしてあれこれ試行錯誤しながら、現在に至っている。

 あるブログに継続的に文章を書いていると、読者数が増え、アンテナ数が増え、リアルな知人が見てくれることも多くなる。嬉しい。本当にありがたいことだ。「ネット」とは網であり、「誰かと自分がつながる」ことであり、誰も自分の存在を認知してくれなければ、ネット上に自分など存在しないに等しいのだから。

 でも、ネット上でのプレゼンスが増すと、同時に、しがらみが増えてくる。見られている、というプレッシャー。一番キツいのは、自分が、なかば現実世界での自分とリンクする形でサイトをはじめてしまったこと。完全に匿名でサイトを作り、社会的属性を明かさず、読者が全員ヴァーチャルな存在だったなら、あれこれ好き勝手に書くことができるし、ほんとうに自由だったと思う。もし自分がそうしていたならばきっと、毒舌系・煽り系の文章を書いていた。

 自分という存在を知って欲しい。だから、リアルな自分と(ある程度)リンクさせて、サイトを作ってきた。属性もある程度明かした。顔写真を載せていた時期もあった。実名の欲望。

 でも、誰かに見られていることを知るたびに、書ける内容がすり減っていく。教授や先輩にブログの内容を注意され、肝を冷やしたこともあった。mixiに日記を書いている人って、本当に凄いなぁと思う。リアルで感じた不満を、リアルな知人の前でぶちまけているわけだから。ムカついていること、怒っていること、こっそりやったこと、それらをリアルな知人に晒す勇気があるわけだから。たとえば、恋人が自分のブログを読んでいると知ったとき、書ける内容は確実に減ってしまうし、凡庸になってしまうだろう。匿名の欲望。

 ネットに自分のサイトを作るとき、せめぎあうのは、実名の欲望と匿名の欲望。知って欲しい、でも、知って欲しくない。自分は色々なブログサービスを利用して転々としているけれども、それは、欲望のバランスがときに変調してしまうから。実名の欲望と匿名の欲望が均衡しなくなったとき、つい新たなブログをはじめてしまう。そういう経験、ありませんか?