ユニバーサル・デザインのつまらなさ

「格差」をときどき無性に肯定したくなる。糸井重里のここらへんの問題意識にはつくづく共感する。

http://www.1101.com/darling_column/archive/2003-01-20.html

だけどさー、やっぱり、公平を限りなく求めることと、
公平を限りなく守ろうとすることっていうのは、
ほんとうは無理なことだと、ほんとうは誰でも知っている。

『あらゆる不公平のなかに、機会(チャンス)がある』
みんなが、そんなとらえ方をしていたら、
おもしろくなるんだろうなぁ。

そしてこの記事も好き。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071031/139184/

 まず、完全に格差をなくすことは不可能。だから、格差問題は、あくまで「どれくらい格差を許容するか」という程度問題。そして、格差がまったくない社会は、確実につまらないだろうなぁと思う。

 たとえば、居酒屋で、隠れ家的雰囲気を演出するために、出入り口が極端に狭く、腰をかがめてくぐり抜けなければ入れなくなっている店がある。ユニバーサル・デザインと正反対の位置にあるような店。若者で健康な人しか入れない。で、もしこれを左派の人が批判したとしたら、自分は完全に店側の肩を持つと思う。

 だれでもアクセスできる人間に優しいデザイン。あぁ、立派だ。でもそんなのばかりだったら、あまりにつまらない。ユニバーサル・デザインは致命的につまらない。無理難題を押しつけるからこそ、魅力的に輝くものがこの世にはたくさんある。もし社会の「プリウス」化が進行するとしたら、ほんとうに絶望する。暴力的な装置をも許容できる社会、正義感に酔わない社会であってほしい。

 もちろん、公共的な場所にはユニバーサル・デザインが必要だけれども、あらゆる場所が「格差」的な装置を取り除いて、万人に開かれた「フェア」な場所になったとしたら、それはグロテスクな悪夢だ。