深く考えるための3つの作法

1.答えはないことを知る

 この世に「答え」はない。「正解」らしきものを提出せんとする科学だって、つねに暫定的な答えしか出せない。また、この世のすべてを明らかにする思想など存在しない。存在できない。なぜなら、問いと答えの連鎖の中で思想は生まれるものだから。問いはつねに移ろいゆくから、答えも変化せざるをえない。馬鹿はすぐ「わかる」ことができる。「わかる」とは、そこで思考を停止すること。「わかるわかる」と思ったとき、無限の可能性が一本に絞られてしまう。「理解した!」と思ったとき、まずは自分を恥じてみたい。

2.バランスの大切さを知る

 たとえば「性善説性悪説、人間の本性はどちらだろう?」なんて問いかける人がいる。答えは、「人間はどちらも兼ね備えた存在である」としか言いようがない。正しい問い方は、「人間はどれくらい性善で、どれくらい性悪なのか?」。つまり、命題を真か偽の二分法で判断するのは愚かなやり方で、確率論的に考える必要がある。見方が歴史的に二分されているような事柄は、真/偽で問うてはダメ。YesかNoで考えてしまうとき、知性が退化している。

3.時間(タイミング)の大切さを知る

 人間は考えるとき時間(タイミング)の大切さを忘れやすい。たとえば消費税を上げるかどうか議論されているけれど、「いつどのタイミングで上げるのか」を気にかける人は少ない。YesかNoという静的な命題を重視してしまいがちだけれども、「いつ」「どれくらいの期間にわたって」という動的な視点をつねに持ち合わせたい。たとえば、「リゾート開発を行ってウミガメが減った」と誰かが主張しているとする。彼は、いつウミガメの数を測定したのか?朝?昼?夜?春?夏?秋?冬?そして、どれくらいの期間にわたって測定したのか?むしろ注目すべきはそちらだ。(これらの変数を意図的に操作して自らの利益に適うデータを出した「研究」が実際にありました)