相対主義に関してこれは大事な点

Wikipedia「自己言及のパラドクス」

相対主義について非常に頻繁に持ち出される古典的批判は、それが自己言及のパラドックスに陥るために、立場として矛盾を含んでいる、あるいは完全ではない、というものである。

相対主義者はいかなる立場も絶対に正しいということはないことを主張するのだが、そのように主張する相対主義者自身は、果たして絶対に正しいのか、それとも、絶対に正しいということはないのか、という点をめぐる矛盾が発生する。もしも相対主義者が正しいとしたら、いかなる命題も絶対に正しいということはないはずなのだが、それならば、「いかなる命題も絶対に正しいことはない」という命題も絶対に正しいということはないはずで、すなわち相対主義者の基本的な主張は間違っていると考えることが出来る。

このように、自己言及が自己矛盾をもたらすために、相対主義は哲学的な立場としては維持不可能なものである、と批判されることになる。

しかしながら、相対主義の主張をいま一歩踏み込んで検討してみるなら、相対主義者自身は自身の主張が相対主義者にとっては正しく、相対主義者でない者にとって正しくなくとも何ら問題ではなく、この批判は相対主義者にとって重要性を持つとは言えない。すなわち、相対主義の「絶対に〜ない」において重要なのは、如何なる準拠点(個人/文化/社会/主義/歴史観/自然観/概念枠…等々)に即して正しい/正しくないのか、という準拠点への注意の喚起にあるからである。

準拠点への注意の喚起を促すのが相対主義の作動様態であると。